ジョセフ・スミスによって確立された業が神聖な権威の下に行なわれたかどうか、彼自身ないしは他者が彼に代わって主張していることがらが正当なものかについて証拠となる事項が以下にまとめられています。
1.彼の働きを通して福音の回復が古代の預言を成就すべく実現し、主の教会が地上に回復されました。
2.彼は以前の神権時代にその権威を保持していた者の手を通して直接聖任と指名を受けることによって、聖なる神権のさまざまな儀式を執り行う権威を授かりました。
3.預言の力やその他の霊の賜物を受けていたことがその実践の中で示されました。
4.彼の主張した教義は真実で聖典の教えと調和していました。
本研究においては、以上の4つの領域の証拠についてこれから注目し、たくさんの事例を挙げますが、この段階の研究においては詳細な説明は予定していませんので、短い解説に限定されます。
預言の成就はジョセフ・スミスの生涯を通じて起こりましたが、たくさんの証拠が残っています。黙示者ヨハネは、末日についての示現を受けたことによってやがて福音が天よりもたらされ、末の日に一人の天使が直接訪れて地上に回復することを理解し預言しました。「わたしは、もう一人の御使いが中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った。『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』。」(ヨハネの黙示録14:6,7)この預言の成就は天使モロナイがジョセフ・スミスを訪れたことにより一部成就しました。そのことはすでに述べましたが、このことにより福音が回復されることが知らされ、その他の古代に預言されたことが速やかに成就するという約束がなされました。さらに、西半球に住んでいた古代の民に救い主が与えられた永遠の福音が完全なままで書かれている記録がジョセフの手にゆだねられ、翻訳され出版されてすべての国民、部族、国語の民に与えられることが約束されました。さらに、復活した方々がジョセフを訪れて神権の鍵と権威を回復しました。これらの人々は生存中にこれらの神権をゆだねられていました。この神権は福音を宣ベそれに関する儀式を執行するために必要な神聖な権威と約束を伴っています。末の日の到来を備えるに当たって悔い改めを叫ぶ権威と神の裁きに関するヨハネの預言がまさに急速にかつ文字通りに起ころうとしていました。
旧約聖書の最後に出てくる預言者マラキはエリヤの到来を予言しました。エリヤはとりわけ先祖と子孫を結び固める業を始める権威を授かっていました。そして、マラキはこのエリヤの役割は「主の大いなる恐るべき日」に先立って果たされるべきことを預言したのです。天使モロナイはこの真理とこの預言の重要さについてすでに述べられたことを繰り返し強調し確認したのです。ジョセフ・スミスと御業を助けていたオリバー・カウドリーは預言者エリヤが1836年4月3日、オハイオ州カートランドの神殿において彼らを訪れ、末の日の預言者にかつてマラキの口を通して語られた以下の言葉のとおりに今や預言が成就したことをエリヤが宣言したことを厳粛に証しています。その言葉とは、「それゆえ、この神権時代の鍵はあなたがたの手にゆだねられている。これによってあなたがたは、主の大いなる恐るべき日が近く、まさに戸口にあることを知ることができる。」
マラキ、モロナイおよびエリヤが大いに強調した先祖と子孫の間の結合についての特別なポイントは死者のためのバプテスマを含む身代わりの業による儀式として説明されました。それは地上にいる間に福音について学びその律法や儀式に預かる機会なしに亡くなった人々のための業です。いわゆるキリスト諸教会の中で末日聖徒イエス・キリスト教会だけがこの教義を教え実行しています。
古代の聖典には末の日におけるイスラエルの回復についてたくさんの記述があります。神様の教えからそれてしまったためにあちこちに散乱させられてしまった民がやがて集められるのです。古代の予言の中でこの集合については極めて大事な事柄として扱われており、イスラエルの出エジプトの時代から聖なる文書の中でこの末の時は集合の神権時代として特徴づけられています。イスラエルの十二支族が長い年月にわたって、また、地球の全面に散乱された後集合することは、キリストが地上の主であり王として義にかなって世を統治すると預言されていたことが起こる前触れであり、集合が完成することは福千年が始まる確かな兆しです。エルサレムは偉大な王がつかさどる聖なる都市として東半球において再建され、シオン、言い換えれば新エルサレムは西半球において建設されます。そして失われた支族は北方の流浪の地から戻され、イスラエルから呪いが払いのけられます。
ジョセフ・スミスの業の初期から集合の教義を教会が当面抱えている大切な課題として教えました。そして、末日聖徒のこの段階における働きは教会を特徴づける最も顕著な特質です。ジョセフ・スミスとオリヴァー・カウドリはこの業を遂行するための権能をモーセから授かったことを証しています。そのモーセは他ならぬエジプトからイスラエルを導いたモーセで、モーセの神権時代と呼ばれる時代にイスラエルの指導者としての権能を授けられていました。ジョセフらの証は1836年の4月3日にカートランド神殿において与えられた示現についての記述の中に述べられています。「モーセがわたしたちの前に現れ、地の四方からのイスラエルの集合と北の地からの十部族の導きの鍵をわたしたちにゆだねた。」この働きが始まった状況が如何に本格的なものであったかを示す事柄として、また、すでにかなりの発展が見られたことを示すこととしてロッキー山脈の峡谷にイスラエルの支族に属する人々が何十万人となく集まっていることを考えてみてください。それから、国々の間でイスラエルの群集が吟じた詩篇に耳を傾けてみてください。「『さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう』と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。」
末日聖徒はモルモン書の出現が預言がまさに実現したことの証拠の一つであると見なしています。イザヤは次の預言でイスラエルが初期の時代に神権を授けられていたにもかかわらず自らを卑しめたことに関する主の言葉を述べています。「その時あなたは深い地の中から物を言い、低いちりの中から言葉を出す。あなたの声は亡霊の声のように地から出、あなたの言葉はちりの中から、さえずるようである。」モルモン書はまさに深い地の中から物を言っており、ちりの中から出てきた言葉です。この書は文字通り地の中から取り出されたからです。この書物はイスラエルの小さな一支族の歴史です。この支族はヨセフの子孫で、キリストの生まれる600年前に奇跡的に西半球に導かれました。ヨセフの記録(モルモン書)について、それがユダの記録すなわち聖書と同じ役割を持っていることについて主は預言者エゼキエルを通して語っておられます。「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。あなたの民の人々があなたに向かって、『これはなんのことであるか、われわれに示してくれないか』と言う時は、これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。」この預言の箇所のすぐ後の部分で、ユダとヨセフの記録にある証が一緒になったあと間もなくイスラエルの集合と回復が起こることが述べられています。今や二つの記録は世に出され、永遠の福音についての証が一つに合わさっています。そして、集合の業が進行中です。
聖典からさらに明らかにされることは、末の世における福音の神権時代は回復の時代であって、まことに「時満ちる神権時代」なのです。パウロが断言しているようにこの時代は主の喜ばしい時です。「それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。」このことは、モルモン書の預言者ニーファイの述べたことと一致しています。「したがって、人の子らに明らかにされてきたことはすべて、その日に明らかにされる。」ペテロの教えもこの点について一致しています。「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならたかった。」そこでジョセフ・スミスが登場します。この時満ちた回復の神権時代を始める権威を授けられたことと彼を通して教会がそれまでの時代に与えられ行使されてきた神権の鍵と権能のすべてを付与されたことを宣言して登場するのです。教会に対して、「この神権の力が、時満ちる神権時代である終わりの時のために最後に与えられているからである。あなたがたは、創造の初めからいずれの時であっても神権時代を受けたすべての者とともに、この力を保持している。」この総合的な力が与えられていることを具体的に示すものとして、教会が今日従事している業全体がその十分な証拠になります。
2.ジョセフ・スミスの権威は天よりの使者に直接授けられました。それぞれがかつて地上においてその権威を行使していたのです。すでに述べたように、生存中ニーファイ人の間で預言者であったモロナイが自分が1400年前に地中に埋めた記録をジョセフの手にゆだねました。さらに、1829年の5月15日にバプテスマのヨハネが小神権またはアロン神権をジョセフ・スミスとオリヴァー・カウドリーに授けました。ヨハネは天使の働きの鍵、悔い改めや罪の赦しを受けるためのバプテスマの教義に関する神権に関する特別な任務を受けていて、復活した人として訪れました。この方は荒野で呼ばわる者の声といわれたその方と同一人物であり、ユダヤの地でジョセフに授けたのと同じ教義を説き同じ儀式を執り行っていました。このヨハネはメシアの直前に現れその到来を告げる役割を受けていました。ヨハネはそのメッセージの中で、自分は主の使徒であったペテロ、ヤコブ、ヨハネの指示のもとで働いていると告げました。その3人はより高い神権であるメルケゼデク神権の鍵を持っており、それも程なくジョセフらに授けられると告げました。この約束はそれから一ヶ月ほどして成就しました。その3人の使徒が実際ジョセフ・スミスとオリヴァー・カウドリーに現れ二人を使徒の職に聖任しました。この時受けた権能にはより高い神権であるメルケゼデク神権にかかわるすべての職が含まれており、福音のあらゆる儀式を執行する権威が付与されていました。
それから、教会が正式に組織された後、生存中に特別な役割を果たしていた数々の使者がそれぞれの特別な任務を二人に授けました。前にも触れたようにモーセが集合の業を行なう権威を、死を味わうことなく天に上げられたエリヤが生者と死者の両方にかかわる亡くなった方のために身代わりになって執り行うという一見風変わりな権能を授けました。それに加えエライヤスもジョセフ・スミスとオリヴァー・カウドリーに現れ、かつてかの族長とその子孫について言われたように彼らとその子孫によってその後の全人類家族が祝福を受けるという「アブラハムの福音の神権時代をゆだねた」のです。ですから、明らかに教会がその権威について主張していることは完結していてまた一貫しています。その権能の出所が明らかであり、どのような経路でそれが再び地上にもたらされたのかも極めてはっきりしています。古代においても現代においても、聖典も啓示も、変わることのない律法としてだれも自分の持っていない権能を他の人に授けることができないという原則を擁護しています。
3.古代のイスラエルが預言者であると自称する人をそうであるか確証する効果的な指標としていた基準に基づいてもジョセフ・スミスは確かにその基準を満たしていました。「もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起こらない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。」それとは反対に、もし、語る言葉が成就するならば、その召しが神聖なものであることの証の少なくとも必要条件にはなります。ジョセフ・スミスによって語られた多くの預言のうちあるものは既に成就しており、また今後成就するのを待っているのもあります。この点を証明するのに若干の例を挙げるだけで十分でしょう。モロナイから告げられ、ジョセフがそれを公にした初期の預言で、モルモン書に関するものに次のような例があります。「この記録に含まれている知識は天下のあらゆる国民、部族、言語、民族にのべつたえられるであろう。」という預言はその翻訳が始まる4年前になされ、教会の長老が外国での伝道を開始する14年前に与えられました。それ以来モルモン書は多くの言語に翻訳され世界規模での配布活動は現在も進行中です。
1842年8月、教会はイリノイ州での迫害を堪え忍んでいました。その当時、アメリカ西部というのは、ほとんど知られていない未開な地でした。そのような時にジョセフ・スミスは次のように預言しました。「聖徒は引き続き多くの艱難を忍ぶでしょう、そしてロッキー山脈に追い込まれます。」そして、教会に忠誠を尽くすと公言していた人々の多くが背教し、自分の証に忠実であった人々の中には殉教する者があり、そしてあるものは次の預言の成就を目にする特権に預かりました。「定住に寄与し、都市を建設し、聖徒がロッキー山脈の中にあって偉大な民となるであろう。」この1842年に語られ、それよりも以前に、1831年に与えられた予言の中でも示唆されていた預言の文字通りの成就は、1847年に始まる西部への移住によって実現し始め、かつては開拓不可能な不毛の地とみなされた地域に定植し発展することになった歴史がそれを証明しています。
聖徒の移住に懐疑的だった人々も敵対者であると自認している人々もロッキー山脈の峡谷に偉大な地域社会を築き上げた奇跡を公に認めています。1832年12月25日には、ジョセフ・スミスによって、国政にかかわる驚くべき預言がなされました。それは間もなく教会の会員の間に伝わり、長老たちによって宣べ伝えられました。その預言には次のようなことが含まれています。「それはサウスカロライナの反乱で始まり、ついには多くの人の死と苦悩に終わるであろう。戦争がこの地で始まって、すべての国々の上に押し寄せる時が来る。見よ、南部諸州は北部諸州に反対して分裂する。そして、南部諸州は他の国々、それもグレートブリテンと呼ばれている国を呼び(中略)また、多くの日の後、戦争のために整えられて訓練される奴隷が、彼らの主人に反抗して立つ。」合衆国の歴史を学ぶものであればだれでもこの驚くべき預言がすべて成就したという事実に気づくでしょう。1861年、前述の預言が記録されてから28年後、それがイギリスで出版されてから10年後、南北戦争が勃発しますが、それはノースカロライナにおいてでした。同胞同士の身の毛もよだつような悲惨な記録が「多くの人の死と苦悩」という預言がまさしく成就したことを証しています。奴隷が南部を見捨て、北軍に加わり、連合軍はグレートブリテンの援助を求めました。公けに同盟は結ばなかったものの実質的に英国の影響で南部には間接的な援助が与えられ、相当励ましになりました。そして、このことにより国際関係が極めて複雑な状況に発展しました。軍艦が同盟関係を利する目的で英国の港で建造、装備されましたが、英国のあるべき中立性を犯すものとみなされ、アラバマ請求の賠償として合衆国に対し15,500,000ドルを課せられたのです。同盟側は弁務官を英国やフランスに送ろうとしていたのですが、彼らは英国の蒸気船に乗り組んでいたのを合衆国の士官によって強制収容されました。この事件は、合衆国政府が公けに認めているように、英国との戦争に発展する危険性を帯びていました。戦争に関するその啓示と予言について詳しく研究すると、ジョセフ・スミスによって1832年の12月25日に与えられた預言はアメリカの北部と南部の戦いは、現在すでに明らかになっているように、闘争と流血の時代に突入する幕開けでした。主の言葉は明瞭に述べています。「 サウスカロライナの反乱で始まり」「戦争がこの地で始まって、すべての国々の上に押し寄せる時が来る。」1914-18年の第一次世界大戦は、まさに直接的あるいは間接的に全世界の国々を巻き込み、そのおろかな闘争から立ち直ることができるかどうかは人知を超えるまでになっていました。多くの国々が分割ないし破壊され、統率者の権威は地に落ち、王位は威信を失い、新しい国々が雨後の竹の子のように設立されたのです。自然界のあらゆる要素が怒りに満ちているようです。今まで記録されたことのなかったようなレベルで天災が起こっています。主がその預言者ジョセフ・スミスをとおして語ったことは決して無効になることはありませんでした。「このように、剣と流血により、地に住む者は嘆き悲しむであろう。また、地に住む者は、飢饉と、悪疫と、地震と、天の雷と、猛烈なまぶしい稲妻よっても、全能の神の激しい怒りと憤りと懲らしめの手を感じるであろう。そしてついに、定められた滅びが、すべての国をことごとく終わらせるであろう。」
ジョセフ・スミスをとおして与えられた啓示のあるものは今後に成就されることを待っています。ここに挙げたいくつかの例だけでもジョセフ・スミスがかつて主の代弁者によって語られた預言を成就することに貢献することに顕著であったばかりでなく、自身が預言者であることを証明するものに事欠きませんでした。この末の日にエライヤスの役割を担ったジョセフ・スミスに豊かに付与された預言の力とそれを自由にかつ確実に行使したことにおいて際立っていました。たとえ、彼の手から神権の権能を授かって同じような業に就いた者が多数あったとしてもです。聖典にはキリストの教会には特定のしるしが伴うと述べられています。その中には、異言、癒し、死に瀕するような危険からの守り、悪霊の制圧などが含まれます。これらの力を行使することはいわゆる奇跡を起こすことになりますが、それは神から与えられた権威を証明する確実な証拠とはいえません。というのは、かつてそのような驚くべき業を行なうことがない真実の預言者もいました。悪霊の力によって奇跡を行なう人もいます。しかし、奇跡を起こすような力を所有することは教会の欠かすことのできない特徴のひとつです。そして、そのような行為が聖なる目的にかなって行なわれるとき、それらは神聖な権能であることの確証になります。ですから、当然ジョセフ・スミスの業績に見られたように、教会の中で一般に見られる御霊のあらゆる約束された賜物を含む奇跡を証言する記述があるのです。
4.ジョセフ・スミスによって教えられ、また今日教会で教えられる教義は真実で霊的なものです。この点について証言するためには、別の機会に教会の主な教えについて検討しなければなりません。
預言者ジョセフ・スミス